覚えているのは狭っ苦しくて薄汚い部屋に朝となく昼となく夜となく響いていた、ギシギシと言う壊れかけのベットの悲鳴と、甲高い女の喘ぎ声。 それから、 擦り切れてボロボロのシーツから零れて揺れる、オレと同じ銀色の長い長い髪。 整えるくらいにしか切れなかったのは、たぶんその記憶のせい。 03.マリーアントワネットの憂鬱 じっと鏡を睨みつけて、肩から流れ落ちている髪の一房を引っ張って、スクアーロは溜息を一つ零した。 鏡の中の長い銀髪の男はさえない表情で見返して来ていたが、本当に冴えないのはそのやたら滅多ら目立つぎらぎらしている筈の銀髪だ。 イタリアの陽射しはきつい。 どんなに気をつけていても(外出時に帽子を被ったりなるべく日陰を歩いたり夜にしか出歩かなかったとしても!)ふと気付けば焼けてぱさぱさに乾いてしまっている。 ただでさえ細くて痛みやすい髪なのに、任務でしばらく碌な手入れが出来なかったのも敗因だろう。 中規模の組織一つを速攻で片付けてもどって来たが、それでも3日はかかってしまった。 爆風熱風砂塵に陽射しにその他諸々。 帰ってすぐさまバカ高いトリートメントを湯水のように使っては見たものの結果は惨敗だ。(新商品やよく効くと噂になったものは、片っ端から買い漁って試してみるのがスクアーロのある意味道楽といえば道楽かもしれない。ちなみに、情報提供者はルッスーリアだ。よく一緒にドラッグストアやら化粧品売り場やらに出没しているのを目撃されている。) 「う゛ぉぉい、どーしてくれんだよぉ」 頭を抱えて、唸り声を上げるもどうしようもない。 三枚に下ろしてきたあの組織のやつらを、今更ながらもっと細かく刻んでやればよかったと後悔するよりも憤慨が先に立つ。(だがそんな事に時間をかけていたら余計に痛むからあえなく却下だ却下) 本人的にも拘りがあって、髪にだけは神経質になって生きてきた。それこそ靴の革をかじるような生活をしていた時だって、だ(そうなる前に大抵客を取ってしのいだが)。 むしろブロンドの多いこの国でもスクアーロほど完璧なプラチナブロンドは珍しいから、売れば結構な額になったみたいだ。なぜならこの髪目当てに界隈の同じような境遇のガキどもに追われて逃げ回ったことだってあるから。 それでも絶対に手放さなかったスクアーロが唯一固執するものだ。 痛んだ部分や、毛先を揃えるくらいにしか切った事が無い。(まぁ、任務でたま〜にばっさりいったりしたこともあるが) ちなみに、今ではスクアーロ以上にこの髪に固執している人物がいる。 最凶最悪に厄介な口より先に手が出る泣く子もさらに泣き喚くザンザスさまだ。 以前枝毛をザンザスに発見された時は問答無用で一時間サンドバックにされた。 こんな有様でボスの前に立ったら、絶対病院送りにされる。 自他共に認める頭の足りないスクアーロにだってそれだけは断言できる。 潤いを失ってぱさついている毛先を摘み上げて本格的に泣きに入ったその時、ベルフェゴールが通りかかった。 「なにやってんの、スクアーロ」 おもしろそうな事態は黙って見過ごせないとばかりにずかずかと室内に入り込んできた、鏡に映った金髪の男というよりは少年に近い同僚を見返して、スクアーロは打ちひしがれた声で答えた。 「髪が痛んでんだよ」 盛大な溜息をついて、また己の銀色を見下ろす男に王子さまは自分の目線よりも上にある頭の天辺から襟足、太腿辺りへと流れるストレートヘアをじっくりと眺めた。 「別にかわんなくない?」 いつも通りこの男には相応しくないほど小さな身動きにさえ繊細にさらさらと靡いてキラキラと光っているようにベルフェゴールには見える。 「バカヤロー!!艶が消えてんだぞぉ!キューティクルがはがれてんだろぉ!!う゛ぉぉい!!!!」 「スクアーロ、おまえそんな小難しい単語知ってたんだ」 がなりたてるスクアーロに怯えるはずもなく、素直に感心する王子さまにスクアーロは 「馬鹿にするなぁ」 とがっくりと肩を落としてしゃがみこんだ。 眼下に移動した頭髪を追ったベルフェゴールの目の前で、スクアーロの銀髪が床にわだかまる。普段だったら埃がつくから絶対にそんなことしないはずなのに。 本当に凹んでいるらしい。 だが、ベルフェゴールには関係ない事だ。 おまけに、自分にはわからないけれど髪が痛んでいるということは、ボスはきっとご立腹になるだろう。 これから起こる惨事を予測して、うししと王子に相応しくない品の無い笑い声を上げる。 「まあ、せいぜい頑張りなよ」 ちっともそんな事思ってないことが丸わかりに言い置いて、ベルフェゴールはさっさと消えた。 たぶんきっと彼はこれから高みの見物を決め込んで、ぼろくそになったスクアーロを見て盛大に笑ってくれるのだ。 だが今はそんな事に腹を立てている場合じゃなくて、現状打破が最優先だ。 といったって頭を使うのは得意じゃないスクアーロに碌な案が浮かぶはずがない。 敵前逃亡して(敵じゃねぇだろ、う゛ぉぉい)この髪が元に戻るまで姿を眩ますくらいしか浮かばない。しかしそんな事をすれば反逆罪だかなんだかで処刑される。 八方塞だ。 「あらスクアーロ。あんたまだこんな所にいたの?早くボスのところに報告へ行きなさいな」 ベルフェゴールの次はルッス−リアだ。 ドアのところで顔だけ覗かせて言う、甲高い世話焼きの声が今ばかりは恨めしい。 「わかってらぁ」 うだうだしてても、待たされたボスの機嫌が悪くだけだということはわかりきっている。(もうとっくに帰還したという知らせは届いているはずだ) 覚悟をきめてのそのそと立ち上がり、重い足取りで部屋の出口へと向かったスクアーロは、早く行けと急かした本人にすれ違い様引き止められた。 「あらやだ。ちょっとあんた、座り込んでなんかいたから髪の毛汚れてるじゃない」 さらりと目の前で翻った銀色についた絨毯の細かな埃に気付いたルッスーリアは、スクアーロを立ち止まらせると髪に着いた埃を手で払い綺麗にしてやりながら、軽く小言じみた言葉を口にした。 「ちゃんと気をつけないとボスに大目玉食らうわよ」 気をつけていてもくらうんだよとは言えず、スクアーロは口を噤んでされるがままになっていた。 おおまかの埃を払い、最後に手櫛で乱れた髪を整えてやって全体を見渡したルッスーリアは満足気に頷いた。 「ハイ、いつも通り綺麗になったわ」 「いつも通りかぁ?」 「ええ、いつも通りよ?」 胡乱気に見上げる男に朗らかに笑って答える相手に嘘は見られない。 ベルフェゴールだけでなく、ルッスーリアもいつもと変わらないというので、スクアーロは自分が神経質になって気にしすぎているだけかと思ったが。 (だめだぁ。絶対気がつくぜぇ、ボスは) 自分からみて明白な事態に、あのボスが気がつかないとは思えない。楽観的な思考は禁物だ。 「…行って来る」 「いってらっしゃい」 そのひょうきんな笑顔もしばらく見納めかと思うと、涙が滲んでくるのは何故だろう。 スクアーロはザンザスの執務室までの短い道のりが、果てしなくどこまでも続けばいいのにと願いながらのたのたと歩き出した。 「おせぇよ」 扉を開けて開口一番。ヴェネチアンガラスのくそ重たい文鎮と一緒にぶっ飛んできたそれに大人しく謝罪して、スクアーロは一歩一歩処刑台に上がる死刑囚同然に不機嫌を前面に押し出した男に近付いていった。(もちろん文鎮はキャッチしたぜぇ。あんなの受けたら血塗れだ!!) 体裁だけで置いてある応接用のソファーの横を過ぎて、書類を眺めていたボスの正面に机を挟んでたったスクアーロは、この机じゃあ壁になんてならねぇなぁと哀しげに胸のうちだけで呟く。 紙面に視線を落としていても、向かいに来た相手のどこかしらが目に入るのは必然で、ザンザスの視界にもそんなスクアーロの長髪の末端が目に入った。瞬間、ぎらりとその深紅の目が光ったのは見間違いじゃあない(ああ、ホラー映画よりホラーだぜ)。 「おい」 ばさりと放り投げられた読みかけの書類が広い机上を埋め尽くし、滑り落ちていくぱさぱさという音。 それを緩慢と目で追いながら、来た、と心臓を縮み上がらせてスクアーロがせめて歯は折れないようにと顎に力を入れて衝撃に備えた直後。 「てめぇ、どういうつもりだ」 ゆらりと椅子を立った男は、執務机如きの障害を物ともせずに長い腕を振り上げて問答無用で拳を一発スクアーロの顔面に叩き込んだ。 当然吹っ飛んでいく部下の体を追うように書類が積み上げられたデスクを飛び越えて、滑空中の殴った相手を引き戻すとザンザスはもう一発腹に決める。それを受けたスクアーロが体をくの字に折り曲げようとするのを許さずに、その件の髪を引っつかんで無理やり顔を上げさせた。 「よくそんな様でオレの前に面ぁ見せられたな、スクアーロ」 「ボ、ス…」 「こんなにしやがって」 手に絡む銀糸はどこかかさついていつものように吸い付くように纏わり着かない。それがイライラとザンザスの神経を逆撫でる。それでも手放せずに、持ち主の痛苦にも頓着せずにぎりぎりと引き絞って握りこむ。 頭皮を引き剥がされそうな恐怖と(はげるのはごめんだぜぇ!)痛みと、腹に喰らった一撃のせいで咳き込みながら己の髪を引き寄せて心底忌々しげに呟くボスに、申し訳なさしか浮かんでこない自分は末期だとスクアーロ自身自覚はある。 「すまねぇ」 咽喉笛をさらして、見上げた主人に咽ながら謝まって、スクアーロはもうぜってぇ痛ませねぇぞぉと何度めかの誓いを立てた。 ガキの頃、この髪を大事にしてたのは顔を覚えてもいない母親のせいで、 今は、あんたのせい。 2006.06.21 |